子供のデートと大人のデートの違い。

 子供のデート:デートしたくてしたくて仕方なくって、
          しないと死んでしまうから、する(ことを試みる)。

 大人のデート:しなくったって死にはしないようなことを、
          あえて一緒に、する。

 デートに大人も子供もあるかい、という自分突っ込みはひとまず封殺。ただ、デートをする/しようとするにあたっての、姿勢というか気の持ちようというか。
 
 何が言いたいかというと、

 大人は、
「二人でご飯を食べただけなら、それはデートじゃないの、まだ。」
 
 たとえ相手に気があってもね。
 だってご飯て食べなきゃ死んじゃうじゃん。

 ということで、二人で食事しただけじゃ、それは大人のデートとは言えません。
 でも、中学生だったら、一緒にモス行っただけでも(少なくとも主観的には)デートたりうるわけで。(違った?)
 でも、いま、単に、たとえお誘いあわせの上でも、一緒にご飯はあんまりデートじゃない。

 今日一緒にご飯を食べた女の子は、かなり好みかつ綺麗な同い年の子。何気に惹かれるものがあるんだけど、子供みたいに燃え上がるイキオイ、とか屹立するなんとかとかは、あんまない。

 それは僕ちんも男の子なので、彼女のほうから誘われたら、そりゃもうありがたく、、

 が、今夜はそんなことにならないのがあらかじめわかっていたし、僕としてもそんなつもりはほぼなかったので、ほんと、おだやかに、ご飯食べて、お茶して、なぜか一緒にお互いの自宅用の朝ごはんを買って、バイバイ。

 感想はね、「今度デートしたいな」。

 なんとなく、新しい関係が生まれてくる予感のような、そんなぬくぬくとした感じがあって。そして僕はその先が見てみたいんだと思う。どこかに行ったり、何かをしたり、それとはだかでいろいろしたり。

 19のころ、絶対こんな風には思わなかったもの。もっと立ちっぱなしで攻撃的な感じ。

 これがなんだかわかんないけど。もしかしたらすでに相手がいる中での(SFとかじゃない)新しい出会いだからかもしれないけど。

 Nineteenって曲を思い出してみた。

 岡村靖幸が「29歳のオトコが19の時を思い出して懐かしがってる曲」として書いたらしい曲。

 19のころを俯瞰でみてしまう自分がいる。それは大人として誉められるべきことなのか、それとも単に過ぎていく時間の問題なのか。

 相変わらず、「わかんない」ってことだけはよくわかる。

 でも岡村ちんの歌ってたせつなさ、みたいなものは、今のが届くものがある。
  
  
  
  
 ♪サイダーのようです、愛が溶け出すさまは。

 
 
 
 
 

あ、やっぱそうだよ、ほら。
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