聖書−バイブル
2003年11月15日三柴江戸蔵によるピアノのイントロは死ぬほど美しいのだが。
♪モーレツ ア太郎 啓蒙 してくれよ!
脱いだら天才か?!
死んだら神様か?!
狂えばカリスマか?!
何もしなけりゃ生き仏か?!
そんなロックで子供が跳ねるよ。
ちょっとお兄さん、ひとつ啓蒙してやってください。♪
モーレツ!ア太郎/80年代の筋肉少女帯より
僕はかつてこの曲で、啓蒙という言葉を覚えた(藁。
今日は一日だらだらと過ごす。病院には行き損ね、読みたい本もろくすっぽ読めなかったが、明日の同期の結婚式の件をはじめ、いくつかの懸案にも目処を立てたので、まあ、よしとする。受ける学校は4っつに決めた。
夜中はテレビ鑑賞。特筆は、NHKでの「クレイジーケンバンド」と「デュラン デュラン」のライブ。まあケンさんのほうはかっこよいのだから、あまり何も書くことはなく。
「デュラン デュラン」。
10年ほど前に彼らを評して「高級な光ゲンジ」と言ったことがある。当時の僕のイメージでは、まさにそんな感じだったのだ。「キレイな顔でファッショナブルな男子5人が奏でる、適度にわかりやすく甘く刺激的なポップミュージック」という点において、両者を似たものと感じていたのだ(なんせ彼らが一番売れていたころ、まだ小学校低学年だったので)。
それを聞いたセミプロミュージシャンの知人は苦笑いしながら、否定するような肯定するようなコメントをくれたっけ。曰く「確かにアイドルだったし、ビデオを含めたビジュアルの側面も強いけど、よくできてる耳に残る曲が多いし良いミュージシャンだと思うよ。でもその表現は今度パクらせて。」
で、90年代後半に彼らは再結成し、僕は知人の言葉の意味をようやく理解したりした。
ということで今日のライブは、夜遅いのに結構楽しく見てしまった。なんとなく80年代のバブリーな世界を思い出させられたり、90年代末の日々を思い返させられたりしながら。でも80年代の代表曲のが上手いのは、まあご愛嬌か。90年代のOrdinary World とか微妙に演奏ががちゃついてて残念。
80年代の曲はあいまいな記憶しかなかったので、実はこの曲デュランデュランだったんだ!とか、聞いたことあるねーこの曲、みたいな瞬間が多くてびっくりした。そしてそのあまりの80年代臭さにさらにびっくり。
80年代のワタクシと言えば、せいぜいが中学生で、今よりはるかにちっぽけな世界の中で、何がなんだかわかんないまま、いろんなものに惑わされながら生きてた。まあとりあえず何でも食ってみるタイプの子だったので、いろいろといまじゃ恥ずかしいものにハマったりもしていた。といってもそのうちのいくつかは今でも強力に記憶に残っていて、今でもたまに物置の中からおっこってくるような思い出になっている。こないだ実家に帰った際に、高河ゆんを貪り読んだこととか、あんまりカミングアウトしたくない、80年代がらみのエピソードだ。だって素敵なんだもの、昔の彼女のマンガ。
なーんて気持ちは激内緒なんですけどね。
まあ、80年代は蒙の時代だったんだろう。いろんなことが良くわかんないから、クズをつかむことも多かった。手探りなりにいろいろやってみて、思えば恥ずかしいようなことも言ったしやったし。完全に見える目など持ちようもないのだけど、少しは見えるようになったトコから思い返すと、あんな頃は恥ずかしいったりゃありゃしない。そういう頃の気持ちを思い出せることに戸惑うけど、今は少しは啓かれているはず。あんなに短絡的でも盲目的でもないよね。
「聖書」の一節には、こうある。
だってホントの恋じゃない汚れてる、僕のほうがいいじゃない。
同級生だし、バスケット部だし、実際青春してるし背が179!
聖書−バイブル/岡村靖幸
でも人生でもう一回くらい、こういう時期があってもいいかもしれない。
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