かくも不覚なる日々
2004年5月30日金曜の飲み会は普通の盛り上がりだったのだけど、男子二人の反省会は途中から女子お友達電話しまくり大会になり、深夜に各地にメーワクかけつつ結局ラーメン食ってタクシー乗って帰るような不毛な幕引き。
だからというわけじゃないでしょうが。
■土曜日の不覚。
HMVでCDをあさっていたときに、ジャーニーのベスト盤再発を発見する。いまどきねぇだろジャーニーの再発こんなフィーチャーすんの、って思ってブースに近づいたら、なんか映画のテーマ曲にOpen Armsが使用されるというウラがある模様。
ひとまず「単に昔のベスト盤の曲順変えただけ」っぽいそのCDを手にとって、ウラジャケ見たら。。思いっきり映画「海猿」の広告になっている。どーなんだ、それ。ちょっとロコツすぎねえか。しかも1780円だし。
なんて思いつつ曲リストを見ていたら、思わず試聴したくなる。
大前提として、僕はジャーニーが嫌いだ。結構長い彼らの歴史の中で、一番セールス的にイケテタころのアルバムしかちゃんと聞いたことはなく、後はいわゆるヒット曲しか知らないが、嫌いだ。ボーカルのスティーブ・ペリーが土臭すぎるとか、彼のソロのPVがウザすぎるとか、そういう理由もでかいのだが、何より彼らの曲にはいけ好かない矛盾があるのだ。「売るため」に書いた曲と「そうでない」曲の間にあまりにも乖離がありすぎるように感じるのだ。
つまり僕のジャーニー嫌いの最大原因は、「(大嫌い)だけど、いい曲はとてつもなくイイ!」ことにある。彼らのいい曲はもう、「誰でも分かるようなシンプルでキレイなフレーズを」「上手でまとまった演奏で」「練りに練ったアレンジで」聞かせれば、そりゃあイイに決まってんだろ、というスゴイレベルに達している(と思う)。こんな教科書通りだけど、誰にでもできるわけでないヒット曲がゴロゴロあんのに、ジャーニー全体でみると、ぜんぜんそんなことやってない、むしろやる気ない。「お前らほんとは違うことやりたいんだろ!」と問い詰めたくなる感満点なバンドなのだ。
この対極には(初期の)TOTOがあって、上記の教科書通りのヒット曲がありつつ、アルバムもその教科書通りのことをやり抜いていてすばらしいのだが。
ととても長い前提になったのだけど、要は僕にとって「ジャーニー=むかつくけど認めざるを得ない実力派、でもキライ。」なのだ。
で、試聴したCD、結局買ってしまった。なんか解ってるのに悪い男にだまされた女子のような気分だ。
つづく。
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